タイトルを見ると新型コロナの話か、と思われるかもしれないが違う。私自身の日常で起きている個人的なイライラについての話である。そもそも私の一番の楽しみは問題を見つけて解決することである。これまでも、徹底的な減塩で血圧を下げる薬を止めることができた、暴走パソコンのOSをWindowsからLinuxに変えて使えるようにした、など「どや顔」で報告してきた。
自分の信念に従って行動する「高い志を持つ、市場価値の高い技術者」を育成します。
コンサルティングと研修のサービスを提供します。
所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
コラム
もういい加減にしてほしい
自分の身は自分で守るということ
今年のお盆の時期は、全国的な大雨、洪水、土砂災害とコロナ感染拡大の話題で埋め尽くされた。昨年の8月と比べたら格段に悲惨な状況となっている。東京五輪の高揚感などあっという間に吹き飛んでしまった。
前回の東京五輪を私はどう見ていたか
東京五輪は何とか無事に終了した。私自身にとっては期待通り、あるいは想定通りであり、特段の感動を覚えることはなかった。無観客で実施ということで、参加アスリートは力を発揮できる場を得られて良かったと思うだけである。ただ、57年前の前回の東京オリンピック当時も、同様にそれほどの感動を覚えた記憶はないのである。
自宅でできることの限界
午前中の早い時間帯だというのに、もう宅配便が届いた。重い物なので玄関の中に入れてもらった。一昨日ネットで注文したダイニングテーブルである。孫たちが来たときに一緒に食事ができるようなダイニングテーブルが欲しいと、コロナ禍の前からずっと思っていた。自分と子供たちのワクチン接種が完了し、この夏休みに孫たちが来ることを見越して急いで入手することにしたのだ。
オリンピック後に広がる恐ろしい世界
今年は梅雨明けが早く、7月中から真夏日が続いていている。ただ、昨年の猛暑の経験から暑さ対策のコツを覚えたのか、部屋の温度管理や熱中症対策はかなりうまくいっている。工夫しながらウォーキングも続けている。部屋にこもっても大丈夫なように、本も何冊かAmazonで購入し積んである。
予想通りか予想外か
いよいよ東京オリンピックの開幕だ。私自身は、オリンピックが無観客で開催されることを半年くらい前から予想していた。ただし、預言者ではないので「予想」と「希望」が混じっていたというのが本当のところである。
夢や希望が必要なのだ
その日の朝はまとめた段ボールの束を2つゴミステーションに運び、家の中の掃除もすませた。ちょっと頭が重かったがどうということも無かった。でも、いつものウォーキングは疲れを感じて半分で切り上げて帰ることになった。データをまとめる仕事を始めたが、集中力が続かない。気分転換に読書を始めたが、頭に入らない。
因果関係を見出すことの困難さ
植物の生長の速さは驚くほどで、常に気を配っていないと庭は雑草だらけになり、樹木は生い茂ってしまう。築44年の我が家の壁はいつの間にかツタで覆われ、屋根まで浸食してくるようになった。これはまずい、と壁の下をよく調べ、ツタの根元を切って回った。太くてノコギリが必要なものもあった。
今は振り返る時ではない
1993年から続けている10年日記は、3冊目の残りが1年半となった。いつの頃からか1週間分をまとめて週末に記入する様になり、日々の記録は卓上日誌の方に記述している。週末にそれまでのことを記入(というか転記)した後、昨年、一昨年の今頃何をしていたかを確認するために読み返すのも楽しい。先週はちょっと違った。夫の7回忌が近づいている。
長い夏休みをどう過ごそうか
私が非常勤講師をしている大学では、東京オリンピックの始まる前に前期の授業が全て終わる。そのために、4月に入ってすぐに授業が始まり、GWの連休をつぶして授業を続けてきた。お蔭で、7月の中旬には期末試験を終えることができ、あとは成績を付けるだけである。パラリンピックが終わって後期の授業が始まるまでが夏休みである。
人間の行動の変化は予測できない
毎週末、同じ時刻に同じ電車に乗って(不要不急ではない用事のために)都心に向かう。コロナ前から2年以上変わらない習慣である。実はこれによって人出の定点観測ができている。例えば、昨年の1回目の緊急事態宣言の時は本当にガラガラだった。その後、徐々に乗客は増え、席は埋まり、立っている人が目立ちだした。
電波時計の時刻を合わせる
まだ梅雨入りもしていないのに真夏がやってきそうな6月のある日、肌身離さず使い続けている腕時計に違和感を抱くようになった。この時計は8年ほど前に購入した電波ソーラー腕時計である。大きな文字盤と長針と短針でアナログの時計のように時刻を知ることができ、小さな窓から、月日、曜日、時分、秒を切り替えながらデジタル表示で見ることができる。
ワクチン接種に踊らされて
新型コロナ感染収束の決め手がワクチンしかないことはほぼ確実だろう。日本はそれに後れを取ったために、景気の回復が大幅に遅れている。私自身は、かねてより高齢者の優先接種に疑問を感じていた。少なくとも私のような既往症も基礎疾患もない、行動に慎重な高齢者に打つよりも、日本の経済を支えるビジネスパーソン、行動力のある若者(学生たち)を優先した方が感染収束を早めると思っている。だから自分自身の接種は来年になっても致し方ないと腹をくくっていた。しかし、現実は違った。見事に踊らされた。
初めての味に感動する毎日
もう1年以上の自粛生活で、楽しみにしているものがどんどん減っている。そんな中で唯一、心待ちにしているものがあった。コロナ前に株式を購入したある会社の株主優待である。私がよく使っているお気に入りのスーパーを運営している会社で、株式を買ったのもこのスーパーを応援するためだった。
リピートオーダー
終活だの断捨離だのという言葉が気になる年齢ではあるが、なかなか家の中のモノを減らすのは難しい。5年くらい前は張り切って片づけをしていたが、最近はその意欲がかなり落ちている。一番の原因は4年前に腰を痛めたことにある。その後、歩くこと、階段の昇り降りなどには支障はなく、速足でのウォーキングも毎日こなしているが、屈むことや物を持ち上げることがつらくなった。
優先という言葉に心乱される
新型コロナ対策は、はっきり言ってもう打つ手はなく、最後の砦のワクチン接種に託される状況になっている。高齢者への接種が本格的に始まり、予想通り、予約ができない事態が多発している。私が他人事のようにこう書いているのは、私の地元では5月の下旬から予約開始、6月上旬から接種開始ということでこの混乱がまだ起きていないからである。
なぜ強い危機感を持てないのだろうか
今年の大型連休は天候が不順だったのも関わらず、連日、観光地に繰り出す人たちの群れが報道されていた。家に閉じこもってばかりでは息が詰まるのでたまには羽を伸ばしたい。マスクをして屋外にいれば大丈夫なはず。外で遊ばせないと子供たちがかわいそう。
一条の光のように見えても
テレビのCMで最も多く目につくのが、サプリメントや健康食品や化粧品の「お試し価格」「今から30分以内のお電話で」の誘いである。すぐに私はこうつぶやく。「危ない、危ない。だまされないぞ」。もちろん健康や美容に関心はあるが、いずれ定期購入に誘導されて抜けられなくなるのは目に見えている。
ロボットくんの暴走
明け方に不思議な夢を見た。私を含む周辺の人が、若い男性に対して話しかけたり、抱きしめたりしながら必死で何かしている。どうもこの男性はパニックを起こしているらしい。頭を振り、泣いている。自分が誰で何をしなければならないか思い出せないようだ。私の側にいたひとりが、彼をバイクに乗せて周辺を走りながら思い出させようとしている。
ニューノーマルの新学期
桜が散り、早くもハナミズキやツツジがあちこちで咲きだした4月上旬、学校の授業が始まった。近くの小学校から、新しいランドセルを背負って胸に花飾りを付けた小さな小学生の一群が、親たちと一緒に帰ってきた。入学式だ。それを見て、私の孫もこんななのかな、とちょっと涙が出た。なぜなら、一年前の第一回目の緊急事態宣言の頃は、孫が4月に入学できないのではないかととても心配していたからである。娘から送られてきた入学式当日の写真を見て、良かった良かったと胸をなでおろした。
昭和育ちのジェンダー意識
新型コロナウイルスと東京オリンピックが国内の話題の中心として固まっているが、もう一つ根強いのがジェンダー問題である。こう書いているが、事前にジェンダーの意味をスマホで調べたことを白状しなければならない。ジェンダーについては私が若い頃から問題としてとらえてきたこと同じだったので、ひとまず安心した。
幼児のままではコロナに勝てない
私の5つの散歩コースのいずれにも公園や学校などがある。毎日2時間半のウォーキングを続けているが、今年くらい桜を堪能できたことはない。最近はどこの公園にも桜はある。学校は通学路から桜並木になっているところも多い。
この差込口は何だ
非常勤講師をしている大学に1年3か月ぶりに行った。4月からハイブリッド型講義(学生の半数が教室で講義を受け、残りの半数がZoomにより遠隔地から同時受講する)を担当するので、機器の接続確認をするためである。
孤立しなければ孤独を楽しめる
72歳にして初めて国民健康保険に加入することになった。70歳までは会社(企業)の保険組合、および大学の共済組合の健康保険加入者だった。その後2年間は共済組合の保険に任意加入していたが遂に期限満了となり、資格喪失証明書が届いたからである。
できるのなら実験しよう
新しいことをしようとするとストレスを感じてしまう。できればやらなくて済む方法はないか、と考えたりする。そんなとき私は「実験だから」と自分に言いきかせる。失敗してもいいじゃないか。実験なんだから。そこから学ぶことは多いはずだ。本当は、うまくいくと思って張り切ってやったら失敗して「実験」を言い訳に使うことばかりなのだが。
郵便は最後のコミュニケーション手段か
昨年の今頃は、新型コロナウィルスの感染が拡大し始めていて、目に見えぬ恐怖におびえていた。その時は甥の結婚式に招待されていたのであるが、予定通り行われるのかどうかも心配だった。結局、延期さらには親族だけで行うとのことで、私自身は出席しないことになった。
ワクチン接種に揺れる思い
現在の私の最大の関心事は、オリンピックでも女性蔑視でも株価の3万円超えでも総務省官僚の接待でもなく、新型コロナワクチンの接種時期である。かなり前から、副反応の恐れが殆ど無いこと、国民の多くが接種することで集団免疫ができる可能性があることなどを認識していたので、打たないという選択肢はないと考えていた。でも、私などに打つ資格があるのだろうか、という気持ちが拭えないのも事実なのである。
OSを丸ごと入れ替えてみたら
このコラムで何度か登場した暴走パソコンのその後である。最初キー入力ができなくなり、外付けキーボードで入力したら暴走し、結局、Office365をアンインストールしてWindowsの機能を極力使わないことで何とかなだめながら使っていたノートパソコンである。しかし、半年間でやったことと言えば年賀状の印刷くらいである。これではまずい。
差別的な発言となるのは何か
2月5日の日経新聞の記事によると、総務省が発表した2020年の家計調査で、勤労者世帯の貯蓄が前年から大幅に増えたとのことである。その理由は、特別定額給付金で世帯収入が増えた一方で外出自粛などで消費支出が減ったからだと言う。株価は世界中で上がり続け、ビットコインの価格も資産家の購入によって急騰している。
決められないもどかしさ
ダイニングテーブルを買おうと思い始めて半年以上が過ぎている。欲しいのは、普段は小さくて、孫たちが遊びに来たときには広げられる伸縮テーブルである。ネットで調べたり、様々なカタログを見たり、家具屋さんに行ってみたりして、イメージは固まっているが購入には至っていない。そもそも、最後に孫たちが訪ねてきてから1年が過ぎようとしている。
チューリップと桜色のマスク
昨年の秋、色はバラバラの30個のチューリップの球根をネットで購入した。3か月間冷蔵庫の野菜室で冬ごもりをさせて、年明けに取り出して水栽培を始めた。あらかじめ100円ショップでプラスチックのコップとそれにピタリとはまるプラスチックのカップを30個ずつ購入しておいた。
いつか辿り着ける日まで
「四十年かけて、ここまで歩いてきたようなものだから、草臥(くたびれ)れた」。これは、井上靖、司馬遼太郎の対談「西域をゆく」の中で出てきた井上靖の言葉である。井上氏らが1977年に新疆ウイグル自治区を旅し、ホータン(和田)に着いたときに発せられたもので、何と感動的な言葉かと胸を打たれた。様々な事情で訪れることがかなわず、40年にわたって憧れ続けた場所をようやく訪れることができた、という思いが伝わってくる。
適応していくことで生き延びるしかない
2回目の緊急事態宣言が出されてすぐの連休中に、毎週の「不要不急ではない」用事で出かける日が来た。行かずに済ませられないかと考えたが、やはり行かざるを得ないとの結論になった。1回目の緊急事態宣言のとき電車の各車両に数人しか乗っていない状況だったので、却って安心かもしれないとの期待もあった。しかし実際は1週間前よりも混んでいた。
もう一つのシルクロード
コロナ禍が始まった頃から、亡き夫が遺した自宅にある古い本を読み漁っていた。その中の一冊が「シルク・ロード」(深田久弥著 1972)である。これが、私の脳内GOTOトラベルのきっかけとなった。実は本書の前半は著者自身が歩いて書いた紀行文ではなく、過去にシルクロードを旅した人々の記録から紙上で構築した脳内の旅なのである。後半は1970年頃までに航空機や鉄道を使って実際に辿った経験を記録した旅行記になっている。この本を最新の世界地図帳を脇において場所を確認あるいは想定しながらじっくりと読んだ。
オオバンとカモ
私は7つの散歩コースを持っている。そのうちの一つである県立公園には2つの大きな池がある。2年前の冬、そのうちの一つの池の周りを歩いていると、真っ黒い水鳥の群れが甲高い声を上げてバサバサと飛び立つのに遭遇した。歩く先々で飛び立つ黒い鳥の群れに恐怖さえ覚えた。特徴は前頭部(おでこ)と嘴が白いことである。ネットで調べてみたところ、オオバンという水鳥であることが分かった。3月になるとオオバンは姿を消した。なお、もう一つの池はカモの天国で、オオバンは見当たらなかった。
生き延びるための行動を考える
年賀状を出してしまい、餅も用意した。一人で迎える正月にはもう慣れてしまったので、誰にも会わないことへの抵抗はない。いつもと違うのは、密を避けるために初詣を今年中に済ませておくということか。誰にも気兼ねなく静かな正月が迎えられそうである。
あなたの出身地はどこですか
出身地を聞かれると迷いもなく「東京です」と答えていた。東京のどこですかと聞かれれば、杉並区ですと答えたはずである。なぜなら、出身地は生まれた場所だと信じていたからである。それが揺らぎだしたのは、稀勢の里が横綱になったとき、出身地と出生地、さらには幼い頃住んでいた土地が違うことが話題になった頃である。
希望が我々を救ってくれる
最近気づいたことなのだが、コロナ禍で世の中全体の気分が落ち込んでいる中、私自身はとても安定しているように感じている。もちろん、好き勝手に過ごしているわけではない。旅行に行かない、家族とは会わない、外食はしない、を守っている。でも、一人暮らしであって誰とも会話しなくとも寂しくもないし、イライラもしないし、ストレスが溜まった感覚もない。毎日の2時間以上のウォーキングで健康だし、ご飯はおいしいし、よく眠れる。
ビジネスを無意識から意識の状態へ
ある日、パソコンを起動させようとパスワードを入れ始めたところで机からペンを落とし、動作が止まった。とたんにパスワードが何だったか思い出せなくなった。頭の中で組み立てなおしてゆっくり入力して起動させたが、無意識ならスムーズにできることが意識することで時間を食ってしまうことを改めて認識した。
飲みたくなったら一人酒
抜けるような青空が続いた11月もいつの間にか終わりに近づき、冬の気配が感じられるようになった。毎日のウォーキングでは色とりどりの落ち葉を掻きわけるように歩いている。紅葉はますます紅く、銀杏も黄色く輝いている。観光地などに行かなくても、住宅地を歩くだけで日本の四季の景色の美しさを実感することができる。
先端IT人材はどこに行くのか
非常勤講師をしている大学の来年度の授業の準備にとりかかるべく、資料集めを始めた。見つけたのが「IT人材白書2020」(情報処理推進機構(IPA) 社会基盤センター)である。サブタイトルに「今こそDXを加速せよ」とあるように、今話題のDX(デジタルトランスフォーメーション)を実現できる技術者、つまり先端IT人材の国内動向を調査した結果をまとめたものである。調査は2019年に行われたものであるのでコロナの影響は反映されていない。ざっと中身を見ているうちに、面白い数字に気づいた。
進化の順序とアメリカ大統領選挙
アメリカ大統領選挙で世界中が大騒ぎしている中、私は神経科学の第一人者と言われているアントニオ・ダマシオの著書「進化の意外な順序 感情、意識、創造性と文化の起源」(2019)を読むのに四苦八苦していた。2回繰り返して読んでも正しく理解できているようには思えず、3回目の途中で理解を深めるためにダマシオの「意識と自己」(2003, 2018)も併せて読み始めた。
ネガティブ思考は未来志向だ
65歳の誕生月に2回目の定年退職をした。その時、複数の人から同じ質問をされた。それは、「これまでで一番幸せだった思い出は何ですか」である。その時の答えは決まって、家族と過ごした夏休み、具体的には、夫と二人の娘が大きな浮き輪で海に浮かんでいてそれを海岸からじっと眺めている自分の姿だった。サザンの曲が流れていた。他にも思い出と言えば、家族と過ごした楽しい日々が連なって出てきたものである。
意識と記憶は未来の予測のためにある
このコラムで何度も書いてきたが、私はかなりの心配性である。何をするにもありとあらゆるトラブルを想定しては心配してしまう。そしてトラブルが起こったときのダメージをできるだけ少なくする準備をする。にもかかわらずトラブルは起きるので、心配の種は増える一方である。
削ぎ落した先に見えてくるもの
近所の100円ショップでプラスチックのトレイとまな板を買ってきた。トレイの長辺の一方を切り落とし、真ん中から2つに切って、まな板をガムテープで張り付けて完成。これは、ノートパソコンのキーボードの上に被せて外付けキーボードを乗せる台である。これで外付けキーボードを使っても場所を取らずに作業できるようになった。
感情では何も解決しない
涼しくなった9月から約1か月、新しい哲学の潮流を知ろうと新実在論をかじり、時間の非実現性に関する本を読んだりしていた。しかし、10月に入ってから哲学に関する本を書棚の奥のほうに片づけてしまった。理由は、最近の哲学が科学技術とくに物理学と脳神経科学の進歩に大きく影響を受けており、しかも、それに追いついていないことに気づいたことである。
人間は脳内で旅ができる
安西(アンシー)を出発した私は河を渡り、ゴビ砂漠をラクダに乗って歩いた。草も木も全く無い。砂嵐ではないが、冷たい風が吹く。10日近く何もない砂漠を歩いた。宿に泊まることができない日は野営するしかなかった。やがて草地が見え始め、樹木も現れだした。ついに雪を被った天山山脈が見えてきた。つらさが吹き飛んだ気持ちだ。11日目ハミに到着した。これから天山山脈の南側を通ってカシュガルを目指す。さらにどれほどの日数を要することだろう。予測もつかない厳しいシルクロードの旅はまだまだ続くのだ。
コロナ後の世界なんて分からない
「石田さん、前歯欠けていましたっけ?」との突然の声に、台所でつまみ食いを見つかった子供のようにびびってしまった私。「歯医者から周囲の歯4本抜いて入れ歯にしなければならないって言われて嫌だなと思って」。しどろもどろの発言になってしまった。先日行われた毎年恒例の大学の同窓会の一コマである。今年はZoomによるオンライン飲み会になった。久しぶりに声が上げられるとつい大口を開けて近況報告したのがあだになった。
デジタル化は価値を高めるためのもの
私が働き始めた50年前にはおかしな仕事があった。上司が書いた読みにくい手書きの文章を「清書」することである。それをコピー(「青焼き」と呼ばれていた)し、社内便で関係者に配布していた。現在であれば、上司本人がWordで作成しメールで送信するかクラウドにアップロードするだけで終わる。デジタル化のお蔭と喜びたいところだが、人件費と時間が縮小されてコスト削減になっただけでやっていることは同じである。
大丈夫、私たちはまだ生きている
私にとってパソコンは家族、友人、いや命綱みたいなものである。パソコンなしでは仕事はできないし、プライベートでのコミュニケーションも(スマホだけでは)おぼつかない。コロナ禍でますますその傾向が強まっているのに、問題が続出して非常に悩んでいる。