今年の夏は、と言うか、今年の夏もと言うべきか、平和なはずの日常を新型コロナ、熱中症、豪雨が脅かしている。自分の身を守るためには、各々への対処を怠りなくしていかなければならない。しかし、コロナが怖い、熱中症が怖いとエアコンをかけっぱなしにして家に引きこもっていると、却って体調が悪くなる。一日でもウォーキングをしないと、次の日には脚や腰がなめらかに動かないような気がする。ひょっとしたら歩けなくなるのではないかと怖くさえなる。生身の体は守るだけでは正常な状態を保つことはできない。
コロナ対策に限れば、今まで行ってきたことの徹底しかない。この夏は孫たちと会うことを諦めた。当然ながら、会食も一人での外食もしない。つまり、他人のいるところでマスクを外す行為は絶対しない、という習慣を頑なに守るということである。ワクチンは感染予防への効果はあまり期待できないようだが、大学教員としての社会的責任(?)もあるので、夏休みに入ったらすぐに第4回目の接種をする予定である。
熱中症対策なら、炎天下でのウォーキングはせず、こまめに水分を取り、家の中でもエアコンを使って温度管理をすることになる。それでも不調は起こる。7月の下旬は、私が担当している大学の講義の前期が終わり、期末試験の採点と成績の判定で忙しかった。エアコンで涼しくした室内でほぼ一日中パソコンに向かっていたところ、次の日、眩暈とまでは言えないが、体がふらつくことに気づいた。結局、凍らしたペットボトルを首筋にあてるなどして体を冷やしたら何とかすっきりした。それからはパソコンの使用の合間に、家の掃除や階段の上り下りで体を動かすことに努めている。
雨が降る日は好きな雨傘を持ってウォーキングに出る。雨足が強まって土砂降りの中を歩くと、どこかで冠水が起きて帰れなくなるのでは、雷に遭ったらどうしよう、という考えが頭をよぎるが、安全そうなルートで歩く。靴もジーンズもびしょ濡れになるが、体も心もすっきりと気持ちよくなる。
こうして、コロナ渦の3回目の夏を乗り切ろうとしているのだが、高齢者にとっての本当の恐怖は別のところにある。他人とのコミュニケーションが減ることによる様々な衰えである。高齢者施設に入っている、間もなく98歳なる母にはもう3年近く会っていない。時々施設から入所者の行事の写真が送られてくるのだが、かつては笑顔が多かった入所者の表情が、最近は失われている。悲しいことに、どれが自分の母親か区別がつかないほどにみな同じ表情になっているのだ。いつ会えるかは分からないが、それまでに私を覚えていて貰える自信はない。
私自身は、5月からあるコミュニティに参加して、毎週、小さな子供たちと走り回ってゲームをしたり踊ったりしている。驚いたことに、飛び跳ねたり走ったりはできないと思いこんでいたのに機敏に動けるようになった。痛くて正座ができなかったのに、足首が柔らかくなってできるようになった。こういった活動がコロナで止められたらと思うと心配でしかたがない。安全な日常が早く来て欲しい。
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コンサルティングと研修のサービスを提供します。
所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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何を優先させて身を守ろうか
2022.07.31