以前、知人から共通する知人のことについて「ああいうことがあったから、しばらくはそっとしておいてやろう」。と言われて、はあ、と曖昧な返事をしたことがある。こういうことは私にはよくあることで、「誰かの大変な状況」について当然知っているはず、という前提で話題が出されて困ることは多い。それでも私は、決してそれが何のことか聞くことはしない。本人が私に伝えない限り、それは私が知るべきことではないか、私には知られたくないことだと思うからである。私は、自分のプライバシーに踏み込まれたくないのと同様に、他人のプライバシーには踏み込むべきではないと思っている。だから、必然的に家族も含めて他人とは距離を置くようになっている。
それにしても、世の中の人たちは自分のプライバシーが漏れることを必要以上に心配する一方で、他人のプライバシーに踏み込み過ぎではないか。非常にバランスが悪いしフェアではない。その最たる例が内親王の婚約者のプライバシーに対する執拗な報道である。そもそも、まだ20代の前途ある若者を、本人ではなく親の金銭問題で問い詰めることがフェアではないと気づかないのだろうか。万人が納得するまで説明することなど無理であるし、必要もない。百歩譲って必要だと言うなら、説明するべきなのは親とその直接の関係者であって、内親王の婚約者ではない。私が親の立場であれば必ずそうする。
60年以上前のことになる。上皇陛下が皇太子殿下だったとき、初めて民間の女性と結婚されるということで国中が沸き立っていた。明治生まれの祖母が、お相手の方(現在の上皇后陛下)が平民であるからと貶めるような発言をしたので驚いた。尊敬し憧れていた祖母だったので悲しかった。戦後の教育を受けた私は、小学生ではあっても「人間はすべて平等である」と信じていた。皇族であっても人間であるということも知っていた。だから、皇太子殿下と美智子様は同じ人間として平等であるべきと思っていた。しかし、世間の多くの人はそうは思っていなかったようである。それは60年以上経った現在でも根強く残っている。皇族であろうと同じ人間。その人の婚約者だからといって特別な目で見るのはおかしい。だから私たち同様、プライバシーは守られるべきなのだ。
一方で、インターネットのメディアを通じて、危険を省みずにプライバシーをさらけ出す人も増えている。単に鏡に向かって独り言を言っているのと同じと思っている人もいるかもしれないが(?)、多くは寂しくて誰かに自分を認めてほしいと思っているのだろう。確かに、親密になるには自分のプライバシーをさらけ出し、相手のプライバシーにも踏み込むことが必要と思うのは理解できないでもない。しかし、公共の場(インフラ)を使ってそれをするのは間違っている。それは密室でやってほしい。公共の場では他人との距離をとることが大切ではないか。
私には友人は少ない。それでも70年以上生きてきて困ったことはない。誰かの助力を得たいときは、たとえ友人でなくとも嘘偽りのない事情をきちんと話し、真摯にお願いすれば、必ず助けてもらえたからである。他人との距離感を持つことは大切である。誰に対しても。
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所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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誰のプライバシーも平等に守られるべきだ
2021.10.03