毎日(ただし雨の時はさぼることもあるが)2時間半のウォーキングを欠かさない。最近は足が速くなったのか結構遠くまで行けるようになった。さらに、同じルートでは飽きるので新ルートの開拓も進めている。予め地図を見ることはあるが、地図を見ながら歩くことはしない。迷うに任せて歩いたことのない道に入っていくのが私の「徘徊老人的」ウォーキングである。家に帰って地図で足跡を辿るのがまた楽しい。
あるイベントに行こうかと思い、その場所の最寄りの駅からのルートを確認するために地図を広げてみた。ふと気づいたのだが、その場所は、いつもウォーキングで行くあたりの一か所から少し足を延ばせば行けそうなところにある。1時間半もあれば着けるだろう。5月の爽やかさに背中を押され、下見を兼ねて歩いてみることにした。歩くうちに見たことのある建物や通ったことのある交差点などが次々に現れる。子供たち、孫たちと車でいろいろなところに行ったときに通った道であることに気付いた。私の頭の中の地図の抜けていた部分が埋まっていく。まるでジグソーパズルのピースをはめ込んでいるようである。
何とかその目的の場所にたどり着いたはずなのだが肝心の施設が見つからない。そのまま最寄り駅に来てしまった。これはまずいと、駅から別の道を歩くなど本当の徘徊をしてようやく目的地となるビルを見つけた。周りを見回して驚いた。最初に通った道ではないか。何のことは無い。建物の看板を見落として通り過ぎてしまっただけだったのだ。その時点で2時間歩き続けたことになる。これ以上歩くのは止めて最寄り駅から電車で家に帰った。
歩いたルートを地図で確かめていると、またも発見があった。コロナ前によく行っていたショッピングモールまでのルートを延長した先にあの場所があるではないか。こちらのルートも試してみたい。となると居ても立っても居られず、次の日のウォーキングはそれに決めた。何と、50分で目的地に着いてしまった。前日の2時間は何だったのか。このまま戻ったらウォーキング時間が短すぎるので、前日のルートを逆にたどって家に帰った。
車の運転はできず、自転車に乗るのも止めてしまった私にとって、自分の足はいざという時の頼みの綱である。自分の家から1時間半以内に徒歩で行ける地域はくまなく頭に入れておきたい。さらに、歩いている途中で道を聞かれてもすぐに答えられるようにしておきたい。そのため、歩きながら必ず町名を確認するようにしている。こうして私の脳内地図の抜けた部分が埋められていく。
話は変わるが、私は航空機と鉄道のどちらでも行ける場所に行くときはできる限り鉄道を選ぶ。別に飛行機が怖いというわけではない。ただ、鉄道の線路の上にいるというだけで安心するのだ。たとえ何があっても線路伝いに歩けばいつかは家に帰れる、という気持ちからである。最後は自分の足だけが頼り、ということの延長線上にある意識である。しかし、その前提には自分の足で歩けるということがある。だからこそ、できるだけ長く歩く「徘徊老人的」ウォーキングを続けるのだ。
さて、明日はどこに行こうか。地図を見ながら抜けたピースを探してみよう。
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コンサルティングと研修のサービスを提供します。
所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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地図のピースを嵌めていく
2022.05.08