衆議院議員選挙とハロウィーンが重なった10月末は雨模様だった。朝9時前にいつもの投票所に向かう。驚いたことに、投票所は最近経験したことのない密状態だった。ただし、高齢者が多いことだけはいつも通りだったが。駅に向かって歩く途中で隣の地域の投票所の前を通りかかったら、こちらは道路に長い行列ができていた。幼い子ども連れの家族もいた。密であることに、不思議と危険を感じるより喜びを感じた。
この日は娘を誘って新宿にショッピングにでかけた。繁華街に出るのは何年ぶりだろうか。自宅近くのショッピングモールとは桁違いの人混み。若者ばかりである。誰もが楽しそうに見えた。私自身も、場違いと感じるより先に人混みを歩くことの喜びが大きかった。久しぶりの日常が戻ったような感覚だろうか。もちろん、全ての人がマスクをしている光景は2019年以前と比べれば異常だろう。しかし、誰もマスクの存在など殆ど気にしていないように見える。
これまでの私は、ショッピングモールやデパートなどを歩き回るのが好きではなかった。どちらかというと嫌々付き合わされる感が強かった。そこで、座れるところを見つけるとすぐに腰かけて、連れの人が歩き回っているのを待つことが多かった。しかし、この日は全く違った。いくら歩いても疲れを感じなかったし、むしろ人混みを歩くことが嬉しくてたまらなかったのだ。
ようやく気に入ったバッグが見つかって購入した。店員さんに一回り大きな紙バッグに入れてもらったら、ますます人混みを歩きづらくなった。それでもウキウキ感は減らなかった。コロナの感染が収まった束の間の日常だということは頭の片隅にあった。それでも良いではないか。この機会に買い物をして少しでも経済を回していくことには意味がある。
次の日のテレビ番組では衆議院議員選挙の結果とその振り返りが続いた。そこには、密になって候補者を応援する映像も多かった。これまで「密」を見ると眉を顰めたくなることが多かった私が、全く不愉快さを感じなくなっていた。むしろ熱気にたいして好ましささえ感じた。これもかつての日常を取り戻しつつあることの現れに見えたからである。
話は変わるが、若い頃は美味しいものはあとに残しておいてゆっくり食べるタイプだったように思う。しかし高齢になるにつれて、美味しいものから先に食べないと食べられなくなる、という思いが強くなった。楽しいことを後回しにできるのは、後でそれが享受できる保証があるからなのだ。それがないのであれば、まず楽しいことをしてしまうのが安全というものだ。先月、孫たちがテーマパークに出かけたそうだ。子供に聞いたところ、来年3月が期限の一日利用券を緊急事態宣言明けを狙って使ったとのこと。まだあと1回分あるのだが3月までに行けるだろうかと心配していた。私は11月中に行くことを勧めた。なぜなら12月以降にコロナ感染のリバウンドが起こる可能性が捨てきれないからである。できるのであれば、楽しいことは後回しにせずさっさとしてしまうに限る。
コロナのパンデミックは私の人生観まで変えてしまったようである。
自分の信念に従って行動する「高い志を持つ、市場価値の高い技術者」を育成します。
「市場価値の高い技術者の育成」を目指して、
コンサルティングと研修のサービスを提供します。
所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
コンサルティングと研修のサービスを提供します。
所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
トップページ > コラム
人混みに喜びを感じてしまう
2021.11.07