同じブランドの商品を使い続けたり、同じ食品を食べ続けたり、といった一種のこだわりに対して、世の中はポジティブに受け止めているように見える。何かに愛着を感じたり、何かにこだわったりするのは、人間味あふれていていいなと思うのだろう。でも、私自身はそれをしない。安いものがあればすぐにそちらを買うし、新製品が出ればすぐに飛びつく。非常に浮気者である。意識して浮気をするものもある。それは体に入れるもの、食品である。
加工食品であれば、同じブランドの物を食べ続けない。例えばコスパのよいチーズを見つけても、ずっとそればかり買って食べ続けるのは避けて別のブランドの品物と交互に買う。野菜であれば、その時点で多く出回っているものを買う。つまり、旬の物ということである。季節が変わって値段が高くなったら買うのを控える。さらに、飽きたら止める。飽きるということは体が欲していないことと考える。
同じものを食べ続けない理由はリスクマネジメントである。たとえある加工食品に含まれるある成分が何か体に悪い影響を与えることが判明しても、継続して食べていないので体への影響は少ないはずである。また、現代の流通システムは素晴らしく、様々な地域の物を食べることができる。生鮮食料品でも、その時点で多く出回っているものは時間を経て旬の生産地が移動するので、当然何があっても影響は少ないだろう。
体に入るものについてこのようにリスクマネジメントをしている私が、最近気にしていることがある。新型コロナのワクチン接種である。2月の初旬に3回目の接種を終えてすぐ考えたことは、「次は8月か、嫌だなあ」であった。こうして半年ごとにワクチンを打ち続けることになるのは、面倒であると同時に不安も感じるのである。一体これはいつまで続くのだろうか。聞くところによると、パンデミックというものは数年続くものらしい。となればコロナとの戦いはあと2年以上続くだろう。つまりあと数回ワクチン接種をすることになるかもしれない。本当に、体に影響はないと言えるのだろうか。
1年前を思い起こしてみると、正直なところワクチン接種には消極的だった。これまでインフルエンザのワクチンすら一度も打っていなかった。しかも皮膚アレルギーでマスクはかけられなかった。それでもインフルエンザに罹ったことはない。一人暮らしで濃厚接触する人はおらず、基礎疾患もない。だから、ワクチンは働き盛りの人たちに回すのがよい、と当時は考えていた。それが、世の中の流れに押され、追い立てられるように3回の接種をしてしまった。それに対して後悔はしていない。ワクチンのお陰で感染しなくて済んでいるのかもしれない。安心して家族に会える機会も得られたので精神的な安定にもよかった。ただ、それがさらに続くことに不安がないとは言えない。
戦火の中で命の危機にさらされ逃げ惑う人たちに比べれば、平和の中で桜をめでる余裕のある我々は申し訳ないくらい幸せである。コロナはニュースから消えてしまったかのごとく見える。でも、体の中では新たな戦いが行われているかもしれない。それは誰にも見えないし、予測もできない。自分自身の判断と行動がますます求められるのではないか。
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コンサルティングと研修のサービスを提供します。
所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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継続することへの不安はないか
2022.04.03