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有でも無でもないもの


2023.5.28


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 インドの哲学者である龍樹(ナーガールジュナ)(150−250)の「空」の思想を知ったのは、全くの偶然だった。量子力学に関する本を色々読んでいた時「世界は『関係』でできている」(カルロ・ロヴェッリ著 2021)に辿り着いたからである。量子力学の世界は我々が実感できる世界とは異なるため、最後は哲学的な解釈になってしまう。ロヴェッリは、世界が実体ではなく関係に基づいて成り立つという観点で量子力学の世界を捉えている。その考え方にピタリと合ったのが、1800年以上前の知の巨人と言われるナーガールジュナの思想だった。興味を持った私は「龍樹」(中村元著 2002 講談社学術文庫)を早速入手して読んだ。ロヴェッリが「空」に着目した理由までは分かったように思える。なぜなら、ナーガールジュナの哲学では「あらゆる事物は他のあらゆる事物に条件づけられて起こるものであり、空とはあらゆる事物の依存関係にほかならない」(「龍樹」より)からである。

 「龍樹」を読んでの私の理解では、「空」は有でも無でもなくその間にあるものである。それは、無自性(それ自体が無い)であり、縁起(相互依存、相互限定)である。ものの実体は無いが現象はある。現実世界でも、心の状態、認識、想像、夢、UFOなど「掴めないもの」「未確認のもの」を説明するときには妙にしっくりくる説明になっているように思える。量子力学の世界で考えれば、シュレディンガーの猫はそもそも実体が存在せず、相互依存による現象(生きているか死んでいるか)だけがある、ということか。

 そうは言っても、量子力学の世界とは違って現実世界には事物は存在する。人は生まれて死んでいく。物事は変化する。来るものがあり去るものがある。説明のできないものはあるが、それらは「超常現象」として将来の科学による解明に期待して押し入れにしまい込めば日常生活に支障はない。それでも気になる場合には、哲学の世界に答を探しにいくのもありだろう。昨年の夏、人間が言語を使えるようになった源泉を探してウィトゲンシュタインに辿り着いたように。それができるのは時間にゆとりのある高齢者の特権かもしれない。

 私の散歩コースにある沼や池では、冬にいたカモやオオバンは姿を消し、生い茂る植物の間からギギギ、ギョギョギョという鳥の声が聞こえる。なぜか私はその植物が葦であり、鳥がヨシキリであると思っている。それは、5歳から9歳までを過ごした東京の下町の中川の土手の経験からである。台風の時期には川の氾濫で怖い思いもしたが、土手は子供たちの遊び場だった。土手から川を眺めれば緑の植物が生い茂っていて鳥の声が聞こえた。植物はヨシと呼ばれており、鳥はヨシキリと教えられた。鳥の姿は見たことは無かった。あれから70年近く経ち、全く別の場所ではあるが、水辺にはヨシが生い茂り、目に見えないヨシキリが鳴いている。見えなくとも存在する、これが現実の世界である。

 さて、量子力学と龍樹の「空」の関係について生成AIに聞いてみた。一見、理解して書いているように見えて驚いたが結局のところはぐらかされた。全く、先端AIはあたかも良く知っているかのように論述して、うまくはぐらかすことに長けているのには感心する。もっと「空」について理解するにはより多くの書籍を読むべきだ、と実感した。

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