日経新聞を電子版で読むのが毎日の習慣になっている。週末や月曜日にはレポート的な記事が多く見られる。科学技術に関する解説記事が多く、興味深く読んでいる。他にも、これまで報道されてきた一見無関係と思われるニュースを俯瞰的に眺め、それらの共通点から本質的な要素見いだそうというものもよく見かける。なるほどと感心する内容のこともある一方で、似たようなものを寄せ集めてこじつけたのではないか、と思わせる内容も時としてある。素人の私が偉そうなことを言う資格などないのだが。
広い視野で全体像を見ることで本質的な問題を明らかにするというのは、言うのは簡単だが実はかなり難しい。ひとつには関連する情報の収集に時間がかかることがある。現代の問題は多くの事実が複合的に絡みあっているので、関連する情報を幅広く収集しなければならない。加えて、歴史的な流れも抑えておかなければならない。情報量は膨らむ一方である。さらに重要なのは、その膨大な情報を総合的に見て本質を掴むことである。それには、経験に基づいた論理的な思考力、判断力が必要である。実は同じようなことが自分の周辺にもあることに気づいた。健康と医療に関わるものである。
私は、20年近く前と10年近く前の2度、開腹手術をして入院を経験している。なぜかいずれも退院後に不審な状況が起こり、様々な検査を行った末に原因不明のまま終わっていた。そのうちの10年近く前の手術についてはまだはっきり覚えている。退院時にふらつきがひどく杖なしでは歩けない状況だった。しかし、仕事を休むわけにはいかず、無理をしてしまった結果、腰から足にかけてひどい痛みに襲われ、本当に歩けなくなってしまった。様々な検査を行ったが原因不明のままだった。結局、家で寝たり起きたりの生活を1か月ほど続けたら治ってしまった。今でも原因は何だったのかと考えることがある。ひょっとしたら、手術の直後だったことで「歩けなくなったこと」を手術と関連付け過ぎていたのではないか。素人考えかもしれないが、歩けなくなったことの原因は、ふらつきがある中で無理をして歩いたことによる肉離れだったのではないか。多くの検査が行われてデータがあっても、思い込みがあると判断に影響が出てしまう。
さて、私は病気の治療も薬の服用もしておらず、かかりつけ医を持っていない。体の状態は自分自身にしか分からない、というのが実情である。最近体の疲れを覚える。やる気が起きないことも多い。これだけ見ると単なる夏バテと思われる。しかし、この夏の自分の状況を思い起こして、別の原因を考えた。6月ごろからたびたび起こる腰痛である。ただ、いずれも1日経つと普通に歩けるようになるため、そのままにしていた。8月も同様のことが起きたが、小学生対象のプログラミング学習会などのボランティアの仕事を張り切って続けていた。その結果としての8月下旬になってからの「疲労」である。体のダメージが蓄積され、それを修復しようとしているのではないか。今は栄養を取る努力をしている。
体の状態の総合的な判断のためには、幅広い情報を取得することと、情報から本質を見いだす力が必要である。そのようなことのできる良いお医者さんはどこにいるのかな。
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コンサルティングと研修のサービスを提供します。
所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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総合的な判断をする難しさ
2024.9.1