特別とも言えないある日の訪れをこれほど心待ちにしたことがあっただろうか。どれほどかというと、その日の未明に眠い目をこすりながらパソコンを立ち上げ、思わず万歳を叫んだ位である。それは今年の9月1日、私のギガ復活の日であった。
振り返ってみれば8月はトラブル続きだった。その中でも大きかったのは、上旬のある日、テレビが全く映らなくなったこと、同時に私自身が腰を痛めて歩けなくなったことである。腰の方は、次の日には歩けるところまで回復した。しかしそれが悪かった。無理をして小学生のためのパソコン教室などのボランティアを張り切ってこなしたせいか、足の筋肉の痛みやはれがひどくなってしまった。さらに、暑さでめまいも起きるようになり、家に引き籠らざるを得なくなった。当然ながら暇になるのでテレビが観たい。そこで、代替手段としてパソコンで視聴する方法を取ることにした。それが次のトラブルの原因となった。
1週間後、ネットのつながりが悪くなった。通信はできているはずなのに動画の視聴はもちろん、メールもできず、新聞も読めなくなった。契約しているモバイルWifiの100ギガが尽きてしまったのだ。その2,3日前にはスマホのデータ残量がゼロとなったとの通知が来ていたので、これでネット世界から切り離されてしまったことになる。しかもテレビも見られないし、新聞は日経電子版だけなので、情報世界からも切り離されてしまった。ギガが戻る9月1日まで十余日もある。恐怖を感じざるを得なくなった。結局、高額を払いながらスマホのギガを追加購入し、爪に火を点すように暮らしていくことになった。指折り数えながら8月を過ごし、遂に9月1日を迎えたというわけである。
ネット世界との繋がりが復活して改めて思うのは、いかに通信に頼って生活していたかということである。同時に、本来は不要なデータのやりとりが多すぎるのではないかとも思った。本当に必要な情報を伝えるのにはもっと情報量を少なくしてもよいはずである。我々は「大量のデータを高速で送受信すること」を追求することで情報化社会を発展させてきた。一方で、大きな無駄も生んでいるのではないだろうか。そればかりではない。偽情報、ヘイト情報、ウィルス等のセキュリティを脅かす危険情報なども大量に行き交う様になっている。地球上で災害が多発する状況は加速する様相を見せている。無駄な情報を制限して必要な情報のみを流通させる状況を作ることも、被害拡大を防ぐために必要不可欠である。
8月の十余日間、スマホだけに頼る「情報社会における孤立状態」が恐ろしかったので、テレビを購入した。一人暮らしの高齢者に大型のテレビは不要と考えたので、卓上に置ける小さなテレビをAmazonで購入した。何と、朝に注文したら夜には届いた。これまで使っていたアンテナにつなぐことで、たった10分で地デジもBSも見られるようになった。すぐ近くで見ているので音声ははっきり聞こえ画像も鮮明。言うことなしである。
9月に入ったところでアイスコーヒー用のコーヒー豆が尽きてきた。そろそろ朝のコーヒーをホットに変えよう。足の違和感も消えてきて、外出が苦にならなくなった。いよいよ秋だ。私も復活だ。
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コンサルティングと研修のサービスを提供します。
所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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復活の日に思う
2024.9.8