最近、いかに自分が多くのものを両親はじめ先輩方から受け取ってきたかを強く意識するようになっている。その量は、幼稚園から大学までの教育機関で受けたものよりも遥かに多く、影響力の多いものである。そもそも学校で習ったことの大半を忘れてしまっている。その一方で、育った環境、周囲の人々の日ごろの行動の影響はしっかりと残っている。
将来を担う子供たちに我々は何を渡すべきだろうか。知識や技術はすぐに陳腐化する。むしろ、子供の方が最新の知識を持ち、最新の機器を使いこなしている。その技術の「本質」を教えるべきなのだが、それは時間的に無理である。例えば、「プログラミング」の本質を教えるとなれば、コンピュータの仕組み、言語とは、データの保存方法、通信の仕組みなどなど、あらかじめ教えておかなければならない。限られた時間の中からどう捻出したらよいのだろう。しかも、それを使う機会のないまま忘れてしまう可能性は十分あるのだ。
私の経験した教育環境について改めて考えてみたい。小学校時代であれば、読み書きそろばん(国語、算数)を徹底的に叩き込むのが中心だった。その合間に社会の動き、技術の動向なども教わった。そこでは担任の先生の生き方、教え方が理解を深めていた。例えば「1円渡されてピンを作れと言われても無理なのになぜ1円で大量のピンが買えるのか」、という問いなど今でもよく覚えている。もちろん、英語もプログラミングもなかったが、大人になって必要になった時、必死で学んだ。決して遅れたとは思っていない。
私と2人の弟は理工系の学部に進学し、技術者や研究者になった。それは、技術者だった父親の影響によるものであるのは確実である。でも、別に算数や理科を教えてもらったわけではない。少なくとも私に大きな影響を与えたのは、夕食時などに父が話す「日本の技術のすばらしさ、将来の夢」である。例えば、「日本にはロケットを飛ばせる技術がある」と聞いたとき、「よし、将来自分がロケットを飛ばそう」と思ったものである。両親が私に渡してくれたのは「ワクワクする将来の夢」とそれを実現したいと言う思いだったのだ。
両親や私が仕事や新聞、テレビ、本などを通して得た様々な知識をはるかに超える大量の知識を、現在の子供ならインターネットを通じて一瞬にして得ることができる。しかも、それは常時アップデートされている。もしも、何かを解決するための知識を得たいと強く思ったとしたら、その答えになりそうな情報を探すことはできる。見つかったものが理解できなかったとしても、それを理解するための情報を見つけることはできる。大切なのは「何かを得たいと強く思うこと」なのだ。
我々大人が子供たちに渡すべきものは何だろう。私は、2つのことを考えている。「大人がワクワクする未来について本心から語ること」と「子どもを取り巻く環境、特に学校に最先端の技術を導入すること」である。子供は大人をよく見ている。大人がワクワクすることは真似したくなる。教育の現場のデジタル化が進めば、様々な機器を使わざるを得なくなり、その問題点、改善点、より革新的なものにするアイディアが生まれる可能性がある。教育現場では、先生は「教える」よりも「将来を楽しそうに語る」ことが有効ではないか。
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コンサルティングと研修のサービスを提供します。
所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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将来を担う子供たちに何を渡すべきなのか
2024.8.18