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秋の訪れは考える力を蘇らせる


2024.9.22


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 私はずっと冬に弱かった。寒さの中では頭が全く働かず、冬眠したいといつも思っていた。それに引き換え、8月生まれということもあり、夏には強いと思っていた。しかし、後期高齢者の現在は全く違う。暑さにめっきり弱くなった。健康に不安を感じるだけではない。頭も働かないし、何より考える意欲も失われているようである。これは危機的な状態である。

 9月になっても暑さは続いていたが、後半になるにつれて少しずつではあるが秋の気配が感じられるようになった。すると、不思議なことに様々なことに対する興味がまた湧いてきた。そこに新たな刺激がやってきた。モンゴル語とロボットである。

 最近、モンゴル語とトルコ語の新しいストーリー音源を入手した。いずれも約1時間の長さで、内容は同じものである。私は、モンゴル語は全く分からない。トルコ語は別の音源を聞いてはいたが、トルコ語であるとわかる程度で、それ以上には進んでいなかった。ふと、誰かが「初めてモンゴル語を聞いたときにトルコ語に似ていると思った」と言っていたのを思い出した。本当だろうか。殆ど分かっていない今こそそれを確かめるチャンスではないか。そこで、次のような実験を行った。

 SDカードからの音源を再生できるスピーカーを2つ用意し、一つにモンゴル語、もう一つにトルコ語の音源SDカードを入れて、繰り返し視聴できるようにする。リビングダイニングルームの中で、私がいつもいる場所から両方が同じくらいの音量で聞こえる場所にスピーカーを設置した。そして、朝から晩まで両言語を流しっ放しにしたのである。すると、驚いたことに、両方の言語は違和感なく融合した。それでいて、どちらかに意識を向けると明らかに一方はトルコ語であり、もう一方はモンゴル語である。違う言語なのに混ざっていても違和感なく融合している。これが「似ている」の実体だったのか。ここでシルクロードが頭に浮かぶ。長期にわたる人の交流が続いたことが、言語同士の親和性,響きあいを高めたのに違いあるまい。私はさらに日本語との親和性も体感している。トルコ語、モンゴル語、さらには日本語との関係についてもっと深めてみたい。

 子供たちのプログラミング教室ではロボットを動かすプログラムを作って競争させたりする。私は新人のボランティアとして講師役の人の支援をしていたのだが、もしも私が教えるとしたらどうするだろうか、と考えるようになった。ロボットの仕組みと機能、プログラミングの必要性、プログラムを組むためのアプリの役割について、最初にきちんと説明する必要はある。あとは、センサー機能が最も生きるテーマでプログラミングして、プログラムの意味を理解しつつ、実際にロボットを動かすことのできる楽しさを味わえるようにする。これまで講師をしている人たちが長年取り組んできたことである。でも、限られた時間の中でプログラムの意味まできちんと理解させ、さらに自分なりのアルゴリズムを作り出す意欲を引き出すことは、どうやったらできるだろう。考えるべきことが次々と頭の中に浮かんできた。いつの日にか、私も講師として自分なりの学習会をしてみたいものだ。

 秋は短い。もたもたしているとすぐに冬が来る。さあ、早く頭をフル回転させなければ。

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