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悩むということは生きている証


2026.2.1


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 最近、夜中に目覚めて、それ以降、眠れなくなることが多い。その間、様々な不安な事が頭をよぎる。それらはすべて、今年になって新たに始めたことに関わることである。「あれはどうやったら良いのか」「もしもこうなったらどうしよう」「本当にあのやり方で良いのか」「あの問題は先に片づけるべきなのか」。眠れぬまま朝を迎える。

 朝のルーティーン(新聞の電子版をパソコンで読み、朝食をとり、朝ドラを観るなど)に入れば元気は出てくる。さらに、確定申告などの事務作業に入っている時は、そちらに気を取られて悩む暇などない。しかし、それが終わって隙間の時間ができると、また不安が頭をよぎる。新しいことにチャレンジするなんてやめておけばよかった。つい、後ろ向の考えが浮かび、自分に向けての愚痴が出てしまう。このままではよくない。何とかしなければ。

 いつも同じ行動を繰り返していれば楽である。体が勝手に動いてくれる。何も考えなくても良くなる。体の不調を感じない限り、悩むことはないだろう。果たしてそれで良いのだろうか。多分、脳の働きはどんどん衰えることだろう。脳にストレスを与えることの効果は、昨年インドに視察旅行に行ったときに実感した。帰国後しばらく頭が整理されて仕事が進んだのだ。だからこそ、今年はもっと自分を追い込もうとしたのではないか。

 色々悩んでいるとき、ネットのニュースを見ていて、ふと、誰かが言った次の言葉に気付いた。「悩むということは生きている証である」。確かにそうだ。死んでしまえば「無」になる。悩むどころか存在自体が消えてしまう。「悩むことは生きること、生きることは悩むこと」なのだ。私はまだ死にたくない。これからの世の中の進歩を見てみたい。であれば、悩みから逃げずに向き合うしかない。

 悩みの源泉を探ってみよう。明らかに、情報が不足していることが不安を呼び起こしている。どうも、かなり先の予定行動に対する情報の不足である。つまり、時間がたてば情報が入ってくるケースがあるにもかかわらず、一人で「どうしようどうしよう」と先走って不安がっていることが多い。それが積み重なって重くのしかかっている。現に、その予定の日が近づくと情報が次々と入ってきて、ホッとすることがよくある。初めてのことに対する情報が少ないのは当たり前である。焦らず時期を待つ心の余裕が必要なのだ。

 高齢になるとなぜかせっかちになる。さらに、いつもと違う事態に遭遇するとパニックに陥る。若いときはそうではなかった。四十年以上の会社勤務、その後十年間の大学教員の時代には、毎日様々なことが起きるので、その対応だけで精一杯だった。その先について考えるのは予算を立てるとき位のものだった。決して良いことではないのだが。だから先走って悩むことは殆どなかった。今は、それだけ悩む時間の余裕があるということなのだ。

 昔、先輩がこんなことを言っていた。「つらいことがあったときは、ボケてしまって何も考えなくなれたらよいのにと思うよ」。果たしてそれが幸せか。私はまだ、悩み続ける方を選びたい。つらいけれど悩みをコントロールできるよう努力しよう。もうしばらくは、生きている証が欲しいのだ。

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