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違和感は常識を変えるチャンス


2025.11.2


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 日本で女性初の総理大臣が誕生したことで、新政府への期待が高まっている。少なくとも、その雰囲気がメディアに溢れ返っている。ただ、どうしても違和感を覚えざるを得ないことがある。女性の総理大臣と男性の総理大臣のどこが違うのか。総理大臣の性別がどちらであっても、すべての人が幸せになるような政治をすべきである。女性であることをことさら強調する必要などないではないか。

 私は、高市総理が自民党の総裁に選ばれたときに初めて、「女性初」であることに気づいた。性別はその人が持っている多くの属性のひとつにすぎない。私にとってはその日に着ている洋服の色くらいにしか感じられない。だから、「女性だから女性のための政治ができる」などと言う思い込みには違和感を覚える。それよりも、差別の無い、一人ひとりにきめ細かい対処ができる世の中を実現して欲しい。「女性なら〇〇」という常識は変わって欲しい。そろそろ「女性初」という言葉を封印してもいいのではないか。

 もうひとつ、私が違和感を覚えることがある。「主食」である。多くの人が想定しているのは「コメ」「パン」「麺類」といった炭水化物である。そして、日本人の主食は「コメ」が主流であるべきだ、と言うのが常識のようだ。でも、正直なところ、私は殆どコメも麺類も食べていない。朝食に食パンを1枚食べるだけである。そもそも、高齢者は食が細いので、野菜、タンパク質をまず食べると、それ以上は受け付けないのだ。それらは「おかず」と言われるものである。でも私にとっては主食である。そろそろ「主食」という言葉の定義を変えても良いのではないか。あくまでも私の場合なのだが、ブランド米のご飯は一年に一度(旅先で)口にできれば十分である。数年前に山形のホテルで食べた朝食のご飯は、今も忘れられない美味しさだった。

 気候変動や地球温暖化、不安定な世界の情勢の影響で、我々を取り巻く環境は大きく変化している。となれば、多くの「常識」はいずれ覆るはずだ。生き延びていくためには、早く変化に対応できることが必要である。そう思っていても、なかなか思考、意識を変えられないのが人間である。そこで有効なのが、「違和感」の察知である。最初に述べた「女性初」の連呼に違和感を覚えていた人は、私だけではないと思う。

 違和感は身を守る上でも重要だ。身近なところでは、腐った食べ物を避けるために、色、臭い、感触で判断する。高齢の親の言動の変化から認知症を疑う。私の子供たちも私の言動を観察しているはずだ。冷蔵庫の中をジロジロ見るのはそのせいか。ただ、違和感は悪い方向への変化ばかりではなく、思いもよらぬ良い方向の変化を見つけることもある。

 これを書いている現在は、長い夏と長い冬の間に挟まれた束の間の秋である。ウォーキングしていて、体がとても軽く感じられる。階段を降りるときにリズミカルに足が動く。暑い時期にやる気が起きずにそのままにしていたことを、いとも簡単に済ませてしまった。後期高齢者になれば体力も気力も落ちて行くものだという「私自身にまとわりついていた常識」が覆った。このような違和感は大歓迎だ。さあ、出かけるぞ。

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