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いつの間にか変わっている


2025.9.21


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 ウォーキングしていて汗をかかなくなった。まだ猛暑を引きずった残暑が続いているはずなのだが、涼しく感じられる。考えてみたら2つのことに気づいた。まず、汗をかいてはいるのだが、風がよく吹いているのですぐに乾いてしまう。さらに、夕方近くなると木々や建物の影が長くなってきて、日陰が至る所にあるのだ。これこそが真夏との違いである。いつの間にか季節は秋に変わっている。

 何か月ぶりかにテレビのチャンネルをFテレビに合わせてみた。普通にCMが流れている。前に観たときはACジャパンの映像ばかりが繰り返されていたのに、いつの間にか昔に戻っている。電車の中でマスクをかけている人を殆ど見なくなった。携帯用の扇風機も見かけなくなってきた。人間の行動は、肌感覚で柔軟に変化していくものである。

 さらに、範囲を広げて「変化」を探してみる。よちよち歩きで愛嬌を振りまいていた孫が、いつの間にか地球環境とエネルギー問題について語っている。近くの小学校の昼の放送で、日本語と英語と知らない外国語が聞こえてきた。小学校や中学校のクラスには外国人がかなりいるようである。報道によれば、教科書の内容はどんどん書き換えられているそうだ。常識だったものは常識ではなくなる。定説は覆る。我々の頭は常にリセットをしていなければならない。そうでないと取り残されてしまう。日々の変化だけでなく大きな流れの変化にも敏感でなければならない。学び続けなければ孫に馬鹿にされてしまう。

 一方で、なかなか柔軟に変化させることができないものがある。人間の意識や考え方である。一度脳内に刻み付けられたものは容易に差し替えられない。例えば、昭和の常識にさらされてきた人たちは、それが現代の考え方からみて非常識になっても気づかない。気づいても行動がついていかない。事実、私自身がそれを認識している。何か発言するときなど「昭和の常識」が出てしまわないか気を付けている。うっかりそれが出てしまうと「時代が違う」と話を聞いてもらえなくなる。100歳を越えても社会の一員でいるためには、日々の変化に敏感であるだけでなく、それらにうまく対処していく努力も必要である。

 さて、秋の訪れは感じ取れたのだが、体や心はなかなかすっきりとしない。以前なら、食欲も意欲も戻るはずなのに、元に戻れないのだ。これこそ高齢化である。認めたくないのだが、これまでできていたことができなくなっている。下りのエスカレーターを必死で上っているような感覚である。何とか対処方法を考えなければならない。やはり技術の進歩に期待したい。行きつく先は「介護」だが、これはぜひロボットに担ってもらいたい。AIの発展により実現できるはずだ。私が100歳までに宇宙旅行できる可能性はかなり低いが、ロボットヘルパーが人間以上に親身になって介護をしてくれる可能性は高い。

 AIはいつの間にか様々な分野に大きな変化をもたらしている。これからは、企業の採用は経験者のみになり、若手社員の育成のために行われていた仕事はすべてAIがすることになるだろう。大学の研究、授業、試験のやり方も大きく変わるはずである。変化に敏感で、柔軟に対処できる人だけが生き延びられる社会に、すでになりつつある。

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