トップページ > コラム

希望的観測に振り回されるな


2025.7.20


イメージ写真

 現代は予測不能なことが多すぎる、と最近強く思う。世界中の殆ど全ての問題は正解がないとしか言えない。なぜなら、いつも自分の予測が外れるからである。例えば、8年前米国の大統領選挙では、まさかトランプが当選するとは思わなかった。でも、1期目のトランプ政権が実現してしまった。さすがに昨年の大統領選挙では当選もありうると考えていたので、2期目のトランプ政権には驚かなかった。でも、トランプなら大ナタを振るってロシアのウクライナ侵攻を止められるのではないか、イスラエルでの戦闘を終わらせられるのではないか、と期待したが、一向に進んでいない。日本に目を向ければ、コメの価格の高騰がある。昨年の春からコメ不足が予想されていたが秋になれば価格は下降していくだろうと予測して何も手が打たれなかった。結果、コメの価格は2倍以上に高騰した。

 ここで振り返って考えてみる。そもそも私の予測はどこからきているのだろうか。過去の膨大なデータを使って予測したわけではない。マスコミやネットの情報に影響されたのは確かである。有識者やマスコミは、「こうなるはずだ」という予測を立ててくる。その多くは、なぜか「最後にはうまくいくはず」という希望的観測に他ならない。そしてまた、一般人である「そうあってほしい」という気持ちが強い私は、希望的観測に基づいた「こうなるはずだ」を信じてしまう。何しろ有識者がそう言っているのだから。そして裏切られる。明らかに、しっかり考えていない自分自身が悪い。

 そろそろ我々は、冷静になって「最悪の事態」をベースに物事を判断する時が来ているのではないか。これは様々な場面で言えることである。例えば、ロマンス詐欺や投資詐欺に遭って大切な財産を奪われたりしてしまうことも、「そうあってほしい」が「最後にはうまくいくはず」に変わり、ずるずると深みにはまっていく。選挙でデマに振り回されて間違った選択をしてしまうこともある。まずは疑ってかかる、最悪の事態を想像することで、かなり防げると思う。それでも不安な私は、電話に出ない、SNSは最小限使うようにしている。

 希望的観測が悪いとは一概には言えない。若い人がこれからの長い人生を生きていくためには、困難は必ず克服でき、成功を手にすることができると信じることが必要である。若い人の理由のない自信と無謀さ、希望的観測が次の時代を作る。若者だけではない全ての世代の人にとっても同じである。これからは、「他人が示唆する希望的観測」に振り回されるのではなく、「自ら作り上げる希望的観測」を次の時代を作る起爆剤として利用するべきではないだろうか。これら2つの「希望的観測」には明らかな違いがある。前者は漫然とこうあってほしいと感じることだが、後者は努力すれば必ずできると信じることである。前者は他者が主体で実現するものであり、後者は自分が主体で実現させるものである。

 現在の私には過去の栄光も自慢できる成果もない。だから将来のことしか考えないようにしている。今やりたいことはすべて未経験の分野である。その分野においては若者と同じである。「自ら作り上げる希望的観測」しか湧いて来ない。ただし成功するための努力は必要である。体が動く限り、頭が働く限り、他人に振り回されず努力し、歩み続けよう。

コラム一覧へ