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熱中症との戦いはまだまだ続く


2025.7.13


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 6月から異様な高温が続き、体は悲鳴を上げている。今年は、幸いなことに、ウォーキング中に脚が攣って歩けなくなる、めまいを起こして電柱にしがみつくなどということは起きていない。今年学んだ言葉に「暑熱順化」がある。高齢になるにつれ「暑いときにウォーキングなどしたら熱中症になる」と引きこもり勝ちだったのだが、「暑熱順化」を知って、少々無理をしてもウォーキングに出るようになった。まもなく汗が噴き出すようになり、その量も日に日に増えていった。汗をかくのが嫌という気持ちが強かったのだが、今年は「命を守るために積極的に汗をかくぞ」と開き直った。熱中症の初期症状が今のところ起きなくてすんでいるのは、そのお陰かもしれない。

 今年初めて起きたのは、部屋の中でパソコンに向かっていて「頭がボーっとする」状態になることである。そんな時は塩分の入ったタブレットを口に入れてすぐに水を飲む。何年か前から、気温と湿度を表示する小さな機器を身の回りに設置して、体感ではなく数値によってエアコンの起動と機能の選択をするようになった。でも今年になって、同じ気温、湿度であっても自分の体感が異なるということに気づいた。例えば、部屋の中で頭がボーっとするのは、座っている時間が長いときである。一方、長めのウォーキングをして汗びっしょりになって帰宅し、顔を洗った後は、涼風が体を吹き抜けるような心地よさである。同じ室温で体感がこれほど違うということは、体の表面だけでなく体の中が違う状態になっているということなのだろう。このメカニズムを解明しなければ適切な熱中症対策はできない。

 一つは血流の影響かもしれない。昨年は、就寝時に枕と首の間に「タオルで巻いた保冷剤」を置くことでぐっすり眠れることに気づいた。冷えた血流が体内を冷やしてくれるのだ。今年は1か月前倒しで始めた。首や脇の下を冷やすことで、体の内部を冷やすことができるのを改めて実感している。一方で、熱いコーヒーを飲むと、室温は同じでも体が熱くなる。この体の変化は驚くほど速い。

 熱中症は(特に私のような高齢者にとっては)命に係わる危険であるのは確かだが、暑さによる弊害がもう一つある。それは、「やる気が出ない」、「意思決定できない」ことである。事実、読んでみたかったミステリーの文庫本が、Amazonから届いたままの形でテーブルの上に置きっぱなしである。昨年は、7月の猛暑中でも、サンフランシスコとシリコンバレーにIT企業の視察に行くのを意思決定できたのに、そんな元気が湧いてこない。何か楽しいことがしたいと思うのだが、何も見つからない。この流れを変える行動を起こさなければなるまい。何だか、熱中症との戦いが新たな局面に来ているような気がする。

 「体の中から熱中症対策」がもうひとつあるではないか。食べることである。幸いなことに食欲は減退していない。そういえば、昨年は溜まったポイントを地ビールと交換した。今年は(ビールやお酒は止めて)ハムやソーセージの詰め合わせを申し込んだ。さらに、近所に鰻屋さんが開店したことを知り、子供たち、孫たちと行くことにした。さあ、肉と鰻で体力をつけて熱中症を撃退しよう。

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