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幸せな暮らしにはコストがかかる


2023.9.17


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 最近小さな公園をよく見かける。ベンチだけのものもあるが、ブランコなどのちょっとした遊具のあるものが多い。夏が近づく頃から周辺に雑草が生い茂り、遊べる空間が狭くなっているのではと心配になるが、気づくと雑草が刈られてきれいになっている。公園を整備するのにかなりのコストがかかっているということに改めて気づく。

 人生の4分の3を過ぎて(これは私の勝手な想定)、幸せな暮らしを求める気持ちが強くなっている。それは何だろう。安全、安心、清潔であることは必須である。重ねて、こだわりの住環境を得たいという思いが強い。私の場合は、交通が便利、都会であってかつ緑が多く、体を動かす場所がある、赤ちゃんから高齢者まで全世代の人との交流ができる、などが挙げられる。これらを満たすためには当然ながらコストがかかる。幸せな暮らしをしたいのなら、我々はコストを担う覚悟を持たなければならないのではないか。

 集中豪雨、ゲリラ雷雨のニュースが頻繁に流れている。いずれも浸水の被害により復旧には時間も費用も膨大だろうと察する。浸水の起きている地域は川のそばとは限らない。都会の真ん中でも、タワーマンションでも起きていることがかつてとは違う。下水の処理量を超える雨が降っているせいだという。下水についてあまり意識しなかった自分を恥じている。

 私は4歳から9歳まで海抜ゼロメートル地帯という地域に暮らしていた。家が川のすぐそばにあり、台風が来れば布団類を押し入れの上の段に押し込んで、2階に上がって震えて夜を明かした。次の朝には、便所(あえてトイレとは言わない)の汲み取り口の蓋がぷかぷか浮いている水をかき分けながら学校に行った。現在その地域にはコンクリートの高い土手が築かれ、家があった場所には公園と遊歩道ができている。70年の間に大きく改善されていることが分かる。しかし、さらなる問題が起きていることは確かなのだ。

 子供の頃、お風呂に入れるのは3日に一度くらいだった。シャンプーは1週間に一度である。もちろん便所は水洗ではない。洗濯もそんなに頻繁にできなかったので同じ服を何日も着ていた。現代なら不潔極まりないと思えるのだが、その分、下水は少なかったはずだ。今は、水洗トイレが当たり前、毎日風呂に入りシャンプーをし、頻繁に洗濯機を回している。それを受け止める下水設備が悲鳴を上げるのは当然である。清潔な暮らしを支える目に見えない設備やサービスのコストについてもう一度考えてみる必要がある。

 もうひとつ考えるべきなのは流通コストである。私はかなりAmazonに依存して生活している。Prime会員なので殆どのものを無料配送してもらっている。しかし最近になって便利さを享受していることに疑問を持つようになった。米などの重いもの、書店では見つからない本などを購入するのは仕方が無いにしても、近くのドラッグストアやスーパーでも買えるものまで購入して届けてもらうのは問題ではないだろうか。配送料は無料ではない。しっかりコストとして認識してそれを担うべき時が来ている。

 幸せな暮らしは誰しも望むところであるが、それにかかるコストにもっと目を向けるべきである。我々は何が重要かの優先順位を付けた上でコストを賄わなければならない。

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