立秋を過ぎても気温は一向に下がらない。今年は、早朝から深夜に至るまで30度越えも珍しくない。気温だけ見ていると1か月半は猛暑続きと言っていいだろう。しかし、私自身の体感は明らかに変わっている。7月の初めには、ウォーキング中にめまいを起こしかけ、危険を感じて家に引きこもらざるをえない状態だったのに、8月になったら、用事があって出歩いたら風を感じて汗をかくのが心地よいと思える。現在は時間をずらし短時間で終えるようにしながらウォーキングを再開している。
お中元でコーヒーを頂いたことをきっかけに初めて朝と昼のコーヒーをアイスコーヒーに変えてみた。体がすっきり爽やかになるだけでなく、涼しく感じられることに気づいた。体感は体の表面だけでなく内部も関係しているのだ。体の状態を測定することで稼働を制御する家電製品もあり、技術的には体感の数値化は可能だろう。しかし、人間は生まれながらにしてそれを感じ取れる。そして言葉にすることもできる。さらに、他人に伝えて共感を得ることもできる。「五感の複雑さ」と「感覚を表現する力」、これこそ人間にしかない能力ではないか。でもそれは本当だろうか。
人間とAIとの関係について考える機会が増えてきた。その際、まずは人間にしかない能力とは何かについて考える。さらに「人間にしか生み出せないものは何だろう」という問いかけをする。まず、前者について考えてみたい。
センサー技術を利用することで他人の体感を数値化することができるとしても、AIは体を持たないので『自分の』体感は持たないのではないか、と思える。しかし、体感センサーを備えた体を持ってしまったらどうだろうか。AIから「今日はじっとりした空気がまとわりつくような嫌な暑さですね」などと挨拶されるかもしれない。それも普通の人が発するより的確な表現で。いずれは感情までも持ちうるのではないか、とも思えてしまう。
後者についてはどうだろうか。AIの発展を身近に感じられるに様になった現在では、人間の創造力もAIに負けそうである。過去の技術や創作物を組み合わせて新たな技術や創作物を生み出すこと、様々な事象からその基本原理を見つけ出すこと、いずれもAIには可能になるだろう。さらに、コミュニケーション能力も並みの人間以上になる可能性がある。ますます人間の立ち位置が微妙になっている。そんなとき、あることに気づいた。
最近、私自身は『自分自身の究極の問題』について考えるようになっている。それは、「生きる目的は何か」ということである。私は75歳になり、私の母はまもなく99歳となる。私自身はますます生きていくことに貪欲になっていることに気づく。それは人間には寿命があること、つまり、必ず死があることを知っており、母よりも長生きすることが生きる目的として自然に設定されているからである。さらに、ただ生きているだけではなく本当の意味での生きている目的を設定しつつある。これが果たしてAIにできるだろうか。
究極の「人間にしか生み出せないもの」は「生きている目的」なのではないだろうか。
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コンサルティングと研修のサービスを提供します。
所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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人間にしか生み出せないもの
2023.8.13