人生100年時代、私の残りの人生は4分の1になろうとしている。しかも、私はこれからする全てのことを「完食」つまり完結させることを目指している。そのためには、食事において何を食べるべきかの吟味が必要であるように、仕事についても何をすべきかを慎重に考えなければならばない。そこで思い至ったのは、人間の根源に関わる問題、例えば今後さらに発展することが見込まれるAIに対して人間はどうあるべきかを追究することである。しかし、それは私の持てる能力と時間ではとても足りない。もっと身近で具体的なテーマを見つけなければ、と考えていた時に思いついたのは、「孫の世代がAIと協調しながら生き甲斐を持って働けるために何をすべきか」を人材育成の観点から見いだすことだった。
今年になって、多くの資本がAIの研究、開発に流れ込んでいる。大手からベンチャーまで多数の企業がしのぎを削っていて、優秀な人材は引く手あまただろう。この傾向が続けば、AIの開発スピードは加速し、早晩大きな成果が次々と生まれるはずである。一方で、人間の変化のスピードは比較にならないほど遅い。人間の意識や社会の仕組みですら50年前、60年前と比べてちっとも変わっていないと感じることは多い。このままでは、私の子供世代は何とか逃げ切れるかもしれないが、孫の世代にはAIに大半の仕事を奪われ、わずかに残った仕事を得るために熾烈な戦いが繰り広げられるだろう。AIのお陰で生産性が上がり、働かなくても食べていける状態になるかもしれないが、生き甲斐を見つけるのがかなり難しくなる。人間の存在意義は何かと思い悩む人も多く出るはずである。
AIに仕事を奪われるのを避けるためには、「問題設定」ができる力を付けることが必要と言われている。現在のAIは与えられた問題の解決や、依頼された仕事を素早くうまくこなすことに長けていることは明らかである。一方で、誤った結果を出すことも多い。従って、正しく問題を設定してAIに問うことと、出された結果について真偽を判定する部分では人間の力を必要とする。ここに、論理的思考力、判断力が求められるのは明らかである。さらに、AIは予測もつかなかった新たな発想ができるまでには進化していないようだ。しかし、これらもいずれはAIが人間を超えるだろう。孫たちの将来は保証されてはいない。
まずは、人間にしかないと思われている「言語コミュニケーション」力は本当に人間だけの物なのか、AIにも獲得できるか、について考えたいと思う。コミュニケーションは言語のみならず全身で感じ取り行うものなので、身体を持たないAIには人間と同じレベルのコミュニケーションはできないと思えるが、将来においてAIも身体や心に当たるものを得てしまったらどうなるだろう。これはより深く追求していく価値がある。
さらに、AIの情報収集スピードに合わせて「考える」プロセスを飛ばして意思決定が迫られる世の中になったら、人間の考える力は失われてしまわないか、という不安がある。他の物に代替できる能力が人間から失われてしまうとすれば、失われないように訓練すべきなのか。あるいは別の能力を見つけ出して磨いていくべきなのか。それはいったい何なのか。だんだん人間の根源に迫りつつある。それを考える時間は私にはない。
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所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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人間の根源に迫るには時間が足りない
2023.7.23