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アナログ活動と人間の思考のスピード


2023.7.16


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 私の仕事机の上には何枚かの白い紙をステープラーで止めて作ったメモ帳が2種類、罫線の無いノートが1冊置いてある。何かに気づいたり、考えをまとめたりするときは、これらのノートとボールペン(消せるものと消せないもの)、蛍光ペンを使って、脳内に浮かんだ様々な考えを書き出す。仕事の主体はパソコンであるが、それは情報の検索と確認、プレゼン資料の作成といった「比較的頭を使わない仕事」に利用している。手を動かすことで考えが整理され、新たな発見ができる。それを最近になってさらに実感している。

 毎週、学生が提出した100件ほどのレポートを一気に読み、その内容を分類、整理、分析して次の講義に使うフィードバック資料を作成する。その際、予見を持ったり仮説を設定したりしないように、同種の課題についての過去のレポートの分析結果を全て消しておく。頭を白紙の状態にしてからレポートを一人分ずつ開いて読む。そこから気になったキーワード、表現をペンでメモ用紙に書く。半分くらいまで読んだところで、私の頭の中に書かれていたことの大まかな関連図が浮かんでくる。残りの半分を読みながら頭の中の図を修正していく。全部読み終わったところで、頭の中に描いた図式を白紙のノートに写し取る。ここまでできたところで、パソコンでPowerPointの資料の作成を開始する。

 学生のレポートは全てデジタル化されているので、何かのツールでキーワードの関連分析などすればもっと効率よくまとめられるはずだ。さらにはそこから図も作成できれば生産性は各段に上がる。しかし、それでは自ら考え、新たな事実を発見する部分が抜けてしまう。なぜなら、そのプロセスの時間が入る余地がないからである。手書きの時間は無駄のようだが、それがあればこそ、その間に考え発見することができる。人間の思考のスピードは、文字を書き図を描くアナログの活動スピードとよく合っているのではないか。

 別の例を挙げよう。私は電車による移動が多い。同じ車両の同じ席に座ることもよくある。ある日、電車の壁に貼られた広告に目が留まった。髪の毛を梳かすためのグッズのようだが、見たことのない形状である。ふと、毎日髪の毛がからまっていらだっていたことを思い出した。そのまま忘れていたが、10日ほどして同じ電車の同じ席に座った時、同じ広告が目に入った。これで私の悩みが解決するのだろうか。調べてみたらそれほど高額なものでもない。思い切ってネットで購入して使ってみたら驚くほどすんなりと髪が梳けた。デジタルサイネージのようなすぐに変わってしまう広告を見たのだったら、この商品は買わなかっただろう。壁に貼られた広告をしばらく見続けるうちに自分の悩みを思い出す。これで解決するかどうか考える。タイパ優先時代にはそぐわないのんびりした意思決定である。しかし、このスピード感は本来の人間には合っているように思えてならない。

 AIを始めとするデジタル技術の発展によって、考える時間を与えられずに意思決定することが求められるとしたら恐ろしい。考える時間を奪われた人間は機械の奴隷になってしまう。人間にとっては危機的な状況ではないか。人間のスピードに合った思考ができるように、ペンと紙は死守しなければ。

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