今年になってフランス語の勉強を始めた。自分でも思ってもみなかった行動である。フランス語は50年以上前の大学4年の時、アテネフランセという学校の単科コースに通って集中的に学んだことがある。それは就職とともに終わった。数年前、老後の楽しみとして学び直しを考えて単語集と文法書を買い込んだのだが、夫の死や自分自身の入院手術などで忘れ去られ、結局開くことなく他の本に紛れ込んでしまった。
昨年末、訪ねてきた娘がフランス語の単語集を見つけたことから流れが変わった。50年以上前の話をしたら笑われたが、開くことのなかった文法書を開いて読んでみた。何と、例文が理解できる。発音も覚えている。若い時に集中して学んだことは消えることなく残っていたのだ。時間を見つけては声を出して読みながら思い出している。
今年は、元旦から「因果推論の科学」(ジュ―ディア・パール著)、「言語はこうして生まれる」(モーテン・H・クリスチャンセン、ニック・チェイター著)、「量子力学の多世界解釈」(和田純夫著)などを読んできた。2番目と3番目の本は、いずれも短時間で読んでしまったのだが、「因果推論の科学」はかなり時間がかかった。理解ができずに戻って読み直すことも多かった。結局はノートにメモをとり、図を描いたりして理解に努め、1週間以上も時間を費やしてしまった。理由は明らかである。数式が出てくると引っかかってしまい、進めなくなるのである。そこを飛ばしてしまうと流れが理解できなくなる。
私は大学では数学を専攻したが、卒業後の仕事はプログラマ、システムエンジニア、コンサルタント、ビジネス企画と文系に近い仕事を続けてきた。その結果、数学的なものから距離を取るようになり、数式を見る機会が殆ど無くなっていた。ただ、論理的な思考法だけは共通して必要だったので、そこの部分は強化することができた。お陰で工学博士の学位が取れたし、大学の工学部で教えることも可能だった。しかし、苦手意識は払拭すべき時が来ているかもしれない。なぜなら、50年以上前のフランス語が残っているように、私の頭の中には50年前に大学で苦労して学んだ数学の要素が残っているはずだからである。
今年75歳となる現在の私は、集中力も理解力も若い時よりかなり落ちている。つまり長時間ひとつのことを集中して行うことができなくなっているし、理解したつもりですぐに忘れて戻ることも多い。それを、総合的に全体像を捉えて再構成する力(これは50年間の仕事の経験から身に着けたもの)でカバーして、新たなことを学ぶことができている。これに、潜在的なスキル(若い時に集中的に学んで身に着けたこと)を蘇らせて加えることができれば、さらに先に進むことができるのではないか。まあ、そんなに物事がうまくいくわけではないことはよく分かっているのだが。
若い人たちに望むのは、集中した学びである。ネットで検索すれば色々な情報が出ているのでそれを使ってそれらしいレポートは書ける。オンデマンド授業で提供されるデジタルコンテンツを倍速で見て分かったつもりにもなれる。何とか単位を取ることはできるかもしれない。でもそれは決して本物ではない。50年後に気づいても遅いのだ。
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コンサルティングと研修のサービスを提供します。
所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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若い時の努力は50年後に活きてくる
2023.1.15