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変化していても振り返れば平坦に見える


2022.11.20


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 いつも使っているノートパソコン(Windows 11)でマイナポータルを使ってみようと手持ちのICカードリーダーを差し込んだが全く反応しない。理由を調べて分かったのだが、このデバイスはWindows 8.1までしかサポートしていなかった。思い起こせばマイナンバーカードの読み取りは、10年前に購入したデスクトップパソコン(Windows 7から Windows 10に変更)にこのICカードリーダーを差し込んで行ってきた。10年間の変化に改めて気づいた。慌てて最新のカードリーダーを購入してマイナポイント申請をした。

 日常生活でも気づかない変化は起きていた。ここ数年、毎朝血圧測定をして記録している。過去の記録を見ると、気温が低くなる時期には血圧が高くなっていた。最近は急激に気温が変化しているのに血圧の変化が殆どない。血圧のことを気にしなくなったのはこのせいだった。細かいことだが、こんなこともある。半年前にはNHKの朝ドラを観た後にいらいらして明日は観ないぞ、と言いつつルーチンでテレビをつけていたのだが、最近は、気持ちをすっきりさせて元気になりたくていそいそと朝ドラを観るようになっている。

 考えてみると、たとえ平坦な道に見えても実は変化のあるデコボコ道なのではないか。例えば、私の74年の人生を一言でいえば「賞罰なし」であると常々思ってきた。つまり、褒められることもしてこなかったけれど罰せられるほどの悪いこともしてこなかった、と言うことである。具体的には、仕事も子育ても「そこそこ」ちゃんとやってきて、そこそこ「平坦で無難な」人生だったと自己評価していた。しかし、子供たちに言わせるとかなりひどい母親だったようだ。夕食にまともな食事を用意することができず、いつも飢えていたと言われて驚いた。当時どのような食生活をしていたか思い出せないので反論のしようもない。ひたすら謝るしかないではないか。

 人生が平坦に見えるということは、「苦しかった思い出が無い」ということにもつながる。子育てが大変だったという記憶はほとんど無い。むしろ楽しかった。仕事についても同様で、他の人の苦労話を聞くと「私はそれほど苦労しなかったから大して出世できなかったのだろうな」と自分を納得させてしまう。成功した人たちは私などよりずっと苦労して、ずっと努力してきたのだろうと考えるほどである。でも実は違うのかもしれないと思い始めた。

 結論じみたことを言うと、虫の目で(歩きながら)見れば変化が激しいデコボコ道であり。鳥の目で(空から)見れば平坦な道だということである。平坦な道に見えても私の人生は変化が大きいものだったに違いない。つらいこともあったのだが、逆に楽しいこともあったから平均すると「普通」に見えているだけである。確かに、毎日暖かい食事を子供たちに出してあげることはできなかったけれど、小さい頃から海外旅行に連れて行って様々な経験をさせたし、楽しい思い出も作れた。仕事についても同様である。10年日記を30年近く続けているが、20年以上前には仕事の悩みが書き連ねてある一方で、仕事の関係で多くの素晴らしい出会いや経験ができたことも書いてある。

 これが人生ということで、あまり子供たちに謝り続けるのは止めよう。  

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