いつも乗っている電車のいつもの場所に本の広告が貼ってあった。読者の感想が並ぶ中に、「これを読んで人生をリセットしたいと思った」というものがあってびっくりした。私自身は、若い頃に戻って人生をやり直したいと思ったことはない。むしろ、とんでもないと思ってしまう。ただこれを書いたのが十代の人らしいので、リセットの時点に戻っても高々10年前だろう。それならあり得るかもしれない。
私が人生のリセット、やり直しを考えるとすれば、自分自身の意思が明確になってくる十代ということになる。そこまでには60年の隔たりがある。知力、体力は今よりも格段に上だろうし、自分の限界についても分かっていないだろう。それなのになぜ戻るのを嫌がるのか。それは、時代もまた60年遡ってしまうからである。昭和は多くの人には懐かしい時代に見えるだろう。私にとっての昭和は、男女差別、セクハラ、パワハラ、煙草の煙が充満する列車の車両やオフィス、暗くて汚い道路、などを思い起こさせる。もちろん、給料は上がり、生活がよくなっていく実感はあった。しかし、あの時代をまた戦い続けるのはまっぴらごめんという気持ちが先に立つのである。あの時代を頑張って来られたのは、それしか知らなかった、そこで生きるしかなかったからである。現代の快適な生活を知ってしまったら、絶対に戻って戦う気にはならない。
時代が戻らずに私だけが若返るというのはどうだろうか。例えば孫たちと同級生になるのだ。それはリセットではなく生まれ変わりである。生まれ変わるのであれば女性ではなく男性に、日本ではなく別の国に、いっそのこと地球ではなくどこかの惑星に、と選択肢が広がってしまう。考えるだけ馬鹿らしいと思える。
私は自分の人生の選択は誤っていなかったと思っている。歩んできた道も決して間違ってはいなかった。しかし、その結果については満足していない。満足のいく結果にならなかった理由は、私自身の能力不足と努力不足によるものである。例えて言えばマラソンで正しいルートを走っているのだが、スピードと体力が不足していてゴールが遥か彼方にある状況なのである。ではどうすればよいのか。私が選んだのは、走るのを諦めるのではなく走り続けて、ゴールまで辿り着くことである。つまり、できるだけ長生きをして、死ぬ前に満足のいく結果にたどり着くことである。
地球はいずれ滅びるだろうが、私が生きている間はまだ大丈夫だろう。科学は確実に進歩している。祖父母、両親よりも良い医療が受けられる可能性はある。その分、長生きできるはずである。私はそう信じている。あとは、死を招くリスクをできるだけ減らす努力をすることである。
後ろを振り返るのは失敗を反省して二度と繰り返さないようにする時だけにする。後は前だけを見て、ゴール目指して走り続ける。過去にこだわらず新しいことを柔軟に受け入れる。ゴールに着けたとどう判断するのか。それは死ぬ直前に自分自身が満足したかどうかで判断する。少なくとも今の時点ではゴールは遥か彼方で、目視では確認が不可能である。
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コンサルティングと研修のサービスを提供します。
所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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人生リセットよりも望むこと
2022.10.16