今年のお盆の時期は、全国的な大雨、洪水、土砂災害とコロナ感染拡大の話題で埋め尽くされた。昨年の8月と比べたら格段に悲惨な状況となっている。東京五輪の高揚感などあっという間に吹き飛んでしまった。
天候の問題、新型コロナウィルスの問題は違っているように見えるが、共通するところもある。過去のデータに基づいて予測できるという点である。事実、コロナの感染者数は予測通り急激に拡大した。神風が吹くと思っていた人たちの思惑は外れた。しかし、予測できていても対応が困難なのは事実である。天災の場合もウィルスの場合も、人間が制御することは非常に困難である。気づいたときには身動きできない状態に陥っていることが多い。地球上で最も賢く、繁栄した種である人類はなぜこれほど弱い生き物なのだろう。今我々ができることは、自分の身は自分で守ることだけなのだ。
私は日頃から「自分のことは自分が一番よく知っている」と思っている。自分の体だけではない。自分の住んでいる家、土地、地域についても、今よく知らなければ調べることは可能である。少なくとも、自分以外の他人の方が私を知っているとは思えない。(異論はあると思うが)かかりつけでもない医者の診察結果や占い師の言葉など信用できない。飲み会などで上から目線で偉そうにアドバイスする人とは距離を置くようにしている。そのせいだろうか、「自分の身は自分で守れ」と突き放されたことで却って心の安定が得られたような気がする。天災への対処が困難なように、コロナ対策も政府や専門家はお手上げなのだ。もう信用できるのは自分だけなのだ。それを改めて確認したところで覚悟ができた。
コロナ対策が「自分の身は自分で守れ」になったのであれば、飲食店の休業要請の効き目が無くなることは目に見えている。コロナにかからないことだけが命を守ることではない。生きていくための術は人それぞれ違う。自分や家族の生活を守るために店を開くのをどうして止められるだろう。心のバランスを取るために外出する人だって責められない。
いつの間にか誕生日が過ぎて73歳になった。努力しなくても自動的に歳は取る。区切りなのでちょっぴり振り返ってみたが、私の人生は「賞罰なし」がぴったりだった。褒められることなど何もしていないけれど悪いこともしていない。舞い上がるほどのこともなかったがそれほどつらい思いもしていない。でこぼこ道を歩いていたつもりでも振り返れば平坦だった。その結果、大きな期待もしなくなり失望もしないで済んでいる。先月にはコロナワクチンを2回打って「プチ旅行」「孫と会う」などなど一時は浮足立ったけれど、結局未だに実現せず引きこもっている。しかし、さしてがっかりもしていない。今の私にとって重要なのは「命を守る行動」であり、生きていればそのうち良いこともあるだろうと思う。
若い人たちは「自分の身は自分で守れ」と放り出されたことで悲観的になり、将来への不安が増しているかもしれない。自分のことは自分が一番よく知っているはずだ。自分にとって一番良い「命を守る行動」を取ればよい。人それぞれ事情も価値観も違う。自分の考えを他人に押し付けることはしないことだ。生きてさえいればきっと良いことがある。
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コンサルティングと研修のサービスを提供します。
所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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自分の身は自分で守るということ
2021.08.22