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希望が我々を救ってくれる


2020.12.13


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 最近気づいたことなのだが、コロナ禍で世の中全体の気分が落ち込んでいる中、私自身はとても安定しているように感じている。もちろん、好き勝手に過ごしているわけではない。旅行に行かない、家族とは会わない、外食はしない、を守っている。でも、一人暮らしであって誰とも会話しなくとも寂しくもないし、イライラもしないし、ストレスが溜まった感覚もない。毎日の2時間以上のウォーキングで健康だし、ご飯はおいしいし、よく眠れる。

 コロナが発生する1年前まで、私はフルタイムで大学教員をしていた。同時に自治会の役員も引き受けていた。長距離通勤は40年に及び、目覚まし時計を3時45分に設定して暗闇の中に家を出、暗闇の中を帰宅した。70歳で定年を迎えると非常勤講師の仕事が少しあるだけとなり、急に暇になった。

 世の中は「人生100年」「定年延長」「アクティブシニア」「第2の人生」などなど『70代以上も働かなくてはならない、活躍できるはずだ』の合唱が響き渡る。同年代の飲み会では、「夫婦で何回も海外旅行」「ジム通い」「マラソン大会出場」「地域ボランティア」「地域のクラブ活動」などのアクティブ自慢があちこちで聞かれる。皆から『活動せよ』と責め立てられているようで、何かしなければと焦りが生じた。そこで、シニア人材の仕事紹介会社に登録したり、近辺のボランティア団体や趣味のサークルを探したりしたが何も見つからないままコロナに突入してしまった。

 現在の私の生活は、ほんの少しの仕事と、毎日2時間以上のウォーキング、数時間の読書で占められている。でも誰からも「何もしていないのはだめだ」と言われない。今気づいたのだが、私の本音は「これまで仕事、家庭、子育てにがんじがらめになってきたのだから、70代の現在は一人で好きなことをさせてくれ」だったのだ。無理に仕事を探さなくても、嫌いなスポーツをしなくても、海外旅行に行かなくても、サークルに入らなくても、それが堂々とできる。これこそ私がストレスフリーである理由だったのだ。

 でも、本当にそれだけだろうか。その時、もう一つの事実に気づいた。今の私は戦火の中を逃げまどっているわけではない。空襲警報に怯えて防空壕に閉じこもっているわけでもない。布団で眠れるし、風呂に毎日入れるし、食べ物だって十分にある。インターネットもパソコンもスマホもテレビもあり、情報も娯楽もいつでも手に入る。生きていくのに必要なものは揃っているのだ。そして何より、新型コロナの影響は未来永劫続くわけではない、ワクチンや治療薬の開発で遅かれ早かれ終息する、との期待が持てる状況にある。つまり、将来への希望があるのだ。希望こそが現在を生き延びるための源だったのだ。

 毎週、不要不急ではない理由で公共交通機関(鉄道)を利用している。緊急事態宣言時には各車両に数人しか乗っていなかったが、夏には1席おきに一人となり、秋にはほぼ満杯となり、冬になったら座れないことも覚悟しなければならなくなった。そして、大声でしゃべる乗客も増えてきた。コロナを早く終息させるためにも静かにしてもらえないだろうか。希望はあるのだから、深呼吸して心を落ち着けてもうちょっとの我慢をしよう。



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