涼しくなった9月から約1か月、新しい哲学の潮流を知ろうと新実在論をかじり、時間の非実現性に関する本を読んだりしていた。しかし、10月に入ってから哲学に関する本を書棚の奥のほうに片づけてしまった。理由は、最近の哲学が科学技術とくに物理学と脳神経科学の進歩に大きく影響を受けており、しかも、それに追いついていないことに気づいたことである。科学技術は日々進歩しているが、まだ多くの解明されていない部分を含んでいる。哲学者はそれを埋めるべく訳のわからない言葉(理屈)を並び立てて辻褄を合わせるため、ますます訳を分からなくしているのではないか。自分自身の理解不足の言い訳だが。
気を取り直して私が読んでいるのは、脳と意識に関する脳科学者の本である。「脳の意識 機械の意識 脳神経科学の挑戦」(渡辺正峰 2017)、「意識はいつ生まれるのか 脳の謎に挑む統合情報理論」(マッスィミーニ、トノーニ 2015)、「情動はこうして作られる 脳の隠れた働きと構成主義的情動理論」(バレット 2019)で、バレットの本は索引を含めると600ページを超える。再読している本、まだ注文して受け取っていない本もある。
これらの本で共通して語られているのは、この10年ほどで脳と意識の科学は大きく進歩しているということ、そして、共通した(多くの学者が同意している)理論はまだ無いということである。つまり、人間の意識、さらには感情、情動といったものは、脳科学にとっても未知の部分が多くあるのである。哲学が追い付けないはずである。それだけではない。AI(人工知能)に意識を持たせられるかどうかなどまだ議論できる段階ではないと言えるのではないか。例え私が120歳まで(あと48年)生きたとしても、私の意識を機械に移植して残すのは無理だろう。大人しく灰になって亡き夫と一緒の墓に入るしかない。
感情や情動が脳内で作られる仕組みは科学的にはよく分かっていない。にもかかわらず、我々はそれで世の中を動かせると思ってしまう。最近のテレビのニュースショーでは暴走した高齢者の車で死亡した女性と幼子の映像が流れ涙を誘った。もしも自分の娘と孫であったら、私なら気が狂ってしまうだろう。でも運転者は車の不具合のせいだとして無罪を主張している。テレビのコメンテーターは涙目になって怒りをぶつける。多くの視聴者もきっと同じ思いだろう。でも、この感情に1億人が共感しても問題の解決にはならない。脳内の知覚、感情や情動は、現実とは同義ではない。問題の解決に必要なのは事実の積み重ねと、科学的な検証なのだ。それがなければ被害者も加害者も納得はできまい。
人間は、未知のものに対してそれを万能とみてしまう傾向がある。自分からやや離れた領域の新たな理論や技術が、自分の問題を一気に解決する救世主のように感じる。例えばAI(人工知能)や量子コンピュータなど、専門外の人にはその本質も限界もよく分からないのに過大な期待を持ってしまう。感情に頼りすぎるのと根は同じで危険なことだと思う。
今、我々がすべきことは、新型コロナも含めて、問題を科学的に分析、解明し、解決策を見出していくことである。まずは自国の科学技術の発展のための努力をして行こうではないか。その先に、脳と意識や感情の関係の解明もあるかもしれない。
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所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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感情では何も解決しない
2020.10.18